今回お話を聞いた方
子どもの頃から、身近に障がいのある人がいました。そうした環境で育ったことから、障がい児を含む子どもたちの保育やケアをしたいと思うようになり、福島にある短大で保育士資格を取りました。私は9歳の頃に父を亡くしていて、母子家庭で育ったんですね。それもあって「働く女性を応援したい」という気持ちもありました。
就職活動を始めたとき、短大のある福島に残るか、地元の静岡に帰るか、東京へ行くかで迷っていたんです。そうしたら短大のキャリア課の先生が「あなたは型にはまるのが苦手なタイプだから、これまでどおりのことをする普通の園よりも、若い女性園長が立ち上げたばかりの新しい園がいいと思う」とすすめてくれたのが、東京にある今の保育園でした。
私は「新しいことを学びたい」という欲求が強かったのですが、そういうところを学校の先生が見抜いてくれていたんですね。
園長は当時30代と若くてアーティスト気質、主任も少し年上のお姉さんという感じで、まずは人に魅力を感じました。ときに私は「こういう保育ってどうなんですか?」と食ってかかったりもしてしまったんですが、そういう若気の至りにも向き合ってくれたのが嬉しかったですね。一方で、保育を通して子どもたちと深く付き合うことで、それまで自覚していなかった自分の気持ちにも気づきました。
子ども時代の私は何不自由なく育てられたわけではないけれど、愛情はたっぷりかけてもらったと思います。けれども、昔は「片親でかわいそう」「片親だからダメなんだ」などと、心ない言葉をぶつけてくる人も少なくない時代でした。
それもあって、私は子ども時代「私はかわいそう?」「弱者?」といつも自分に問うていました。だからこそ、子どものケアをしたいと思った部分がありました。でも、それは違うな、と。保育園に通っている子どもの家族はさまざまですが、子どもたちはみんな、かわいそうな存在ではありません。いろいろな家族の形があるし、いろいろな幸せがあることに改めて気がつきました。
「自らを生き そして共に生きる」という保育理念を大切にしています。これは集団生活の中でも自分というものをしっかり持ったうえで、他者も尊重しながら一緒に生きていこう、ということです。それぞれの子どもたちが持って生まれた「みずみずしい個性や感性」に大人の都合でフタをするのではなく、その人となりが発揮できる環境を創り、考え続けるというのが保育のプロとして大切なことだと思っていますし、そう心がけています。
まず、「自らを生きる」ために、それぞれの子どもが自分の好きな場所で好きな遊びを選び、熱中や没頭ができる保育づくりをしています。自分が何を好きなのか、どんなことが得意なのか、どんなことが嫌いなのか……、自分で自分をわかることはとても大切だからです。そして、それぞれが自分専用の湯呑みと茶碗と箸、布団カバーの柄を選んで、卒園まで同じものを使います。
はい。自分の「好き」や園の中でも「自分だけのもの」があることで「安心感」につながると思います。大人でも近くに自分の持ち物があると落ち着きますよね。
それから子どもたちが長い時間を過ごす保育園は、第2の家庭のようなもの。3・4・5歳は異年齢の縦割りの編成で12名ずつを1クラスにし、それぞれ「〇〇家」と担任の名前をクラス名にしています。
年上の子が年下の子の面倒をみることもありますが、そういう単純な関係ではなく、それぞれが何が好きか、何をしたら怒るのか、何が得意なのか……など、お互いを深く感じ理解できるような暮らしがあります。
例えば、パーソナルスペースに踏み込まれるのが苦手な子は「友達にベッタリくっつかれるのが苦手だよね」「少し離れていたほうがいいね」といったように周囲の子が理解するわけです。これは「自らを生きる」ためにも「共に生きる」ためにも必要なことだと思っています。
生きることって、日々を暮らすことだと思うんです。当園では、子どもたちがぬか漬けや梅干し、味噌をつくることが、子どもたちの中で代々受け継がれています。梅干しや味噌は、卒園時には自分のつくった器に入れて持ち帰るのです。園にある種味噌は、もう二十数年もの。保育園は集団生活の場ですから、家庭とは違う点も多々ありますが、なるべく家庭的な環境を用意したいと思っています。
私が36歳のとき、初代園長が体調を崩して退職されることになりました。当初は、他の法人から新しい園長がくるという話が進んでいたのですが、直前に資格要件が足りないことがわかり、副園長だった私が急きょ指名されて、びっくり(笑)。
園長になりたいという気持ちは特になかったのですが、これまで共に働いてきた職員仲間の処遇を守りたいという想いもあって引き受けることに。前園長と同じように私も若くして園長になったので「若園長」と呼ばれ、他園の年上の園長先生たちにかわいがっていただきました。
個人的には、私の子どもがまだ9歳と6歳と小さい頃ではありましたが、幸い夫と私は家事も子育ても半々でやってきていたので、特に問題はありませんでした。
職場も、10〜20年一緒に働いてきた同世代の同僚と一緒だったので、チームワークづくりについてまったく不安はなかったです。
やはり職員の「チームワーク」です。うらら保育園に「ピン芸人」は必要ありません。大切な子どもたちのために、それぞれの職員がチームの一員であるという自覚を持ち、自分の得意と不得意を認識したうえで自分らしく得意をいかして保育をしながら、苦手なことは互いに補い合っていけるようなチームであってほしいと思っています。
例えば、ピアノが得意ならピアノを弾き、絵が得意なら絵を描く姿が日常の保育の中にあるなど、自分の「好き」を保育にも生かしてほしいのです。平均的に何もかもできてほしいとは思っていません。「自らを生き そして共に生きる」のは子どもたちだけではなく、大人も同じです。
園長職はそろそろ世代交代の時期を迎えています。これから30〜40代の若い職員に手渡す準備をすすめていく予定です。
また、東京立正短期大学の鈴木健史准教授と一緒に立ち上げた「保育ファシリテーション実践研究会」の活動を自らも学びを深め、より力を入れていきたいと思っています。保育におけるコミュニケーションを円滑にする「保育ファシリテーター」を養成する講座を企画し、そのスキルとマインドを広く伝えていきたいと考えています。
保育を仕事にすると、今まで自覚していなかった自分の一面を知ることがあると思います。子どもたちのことはかわいいのに、どうしても受け入れられない部分、つい気になってしまう子がいたり……。その根底には自分がどう育ってきたか、どう育てられてきたかということにつながっていると思います。例えば、厳しいしつけを受けてきた人が、お行儀の悪い子をつい叱りすぎてしまったり、むしろ何も声をかけられない場面があるかもしれません。
ときどき、私は保育士に「これまでの人生で忘れ物ってない?」と聞くことがあるんですね。例えば「親にもっと関心を持ってほしかった」とか「兄弟姉妹で差別してほしくなかった」とか。そういうことは気づいたら言葉にして、誰かに話していくことで自分をひらき、少しずつ解消できるのでは、と私は思っています。多様な価値観や個性ある人々との関係の中で仕事をする職種なので自分の「スキーマ」に気づき自覚することは、大切だと思っています。
保育士に限らず、「ケアをする仕事」をする際には、必ず自分と向き合うことが必要になります。さまざまな経験をし、いろいろな人と話し合い、そうして自分を見つめ直して、保育の道へと進んでくれたらいいなと思います。
(取材・文:大西まお、撮影:岡村大輔、編集:コドモン編集部)
齊藤先生が働いている園
施設名:うらら保育園
形態:認可保育園(69名)
設立:1987年
所在地:東京都葛飾区西新小岩3-37-27
※2024年12月18日時点の情報です
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